モスクワオリンピックをボイコットした年。そして三ない運動の全盛期。オイルショックこそあった物の、これからバブルへと向かう昭和55年。1980年8月に水冷2ストローク並列2気筒のヤマハRZ250が発売されました。
ヤマハRZの位置づけは四輪の様に、バイクも4スト一辺倒へと行こうとしていた時代に。一石を投じたら大きなウネリへとなった。二輪はまだまだユーザーの欲しがる、軽量でピュアスポーツな2ストを作れば売れる事を証明し、後のレーサーレプリカブームの先駆けとなった。そんなバイクです
RZの発売された時代背景
70年代は、2ストを得意とし。二輪のみならず四輪も生産するメーカー、スズキに代表されるよう。二輪ではGT380等のGTシリーズや、四輪ではジムニー、シャンテ、フロンテ等を出していましたが。アメリカの排ガス規制、上院議員エドマンドマスキー氏によるマスキー法が制定され。それらの四輪の車種でも、4ストロークに移行せねばならなくなり。2ストロークは市場からどんどんと消えて行き、真新しいラインナップは少なくって行きました。
そんな中79年に久しぶりの4スト4気筒400cc、カワサキZ400FXが発売され。ユーザーが求めていた4スト4気筒400ccという事で、大人気を博し。続くようにヤマハも80年6月にXJ400を発売した。当然スズキやホンダも続くのではないかと噂されて、やはり二輪も4ストへ行ってしまうのでは無いかと思われてたこの時代。RZ250はそんな時期に発売されました
参考書籍
ヤマハは75年に2ストのRD400を発売し。その後マイナーチェンジをしながら、排ガス規制に対応していましたが。速さこそ有るものの、人気はあまりありませんでした。また79年に改良型のRDを出すものの、排ガス規制に適合させる為にパワーダウンを余儀なくされる事となりました。
だがレース界ではまだまだ2ストが中心で、ヤマハは2ストロークのロードレーサーとしては世界最大排気量を誇る、直列4気筒のTZ750が。競技用車輌の市販レーサーは、TZ125/250/350等が販売されていました。ヤマハはヤマハで2ストを作り続け、積み上げて来た実績と意地が有りました。
マスキー法によって、2ストはもうアメリカでは終わってしまうのでは無いか。これからは市販車では4ストローク中心になってしまうのか?そんな時代にヤマハは、北米ではダメでもヨーロッパではまだ2ストの需要は有りそうだし、ならば最後の2ストロークスポーツを作ってみよう。ヤマハの意地を見せてやろう。ヨーロッパをターゲットにし、メインには350ccを。日本向けには車検の無い250ccを並行開発する、という事でプロジェクトが始まりました。
70年代のアメリカは上記のTZ750が、AMAスーパーバイク選手権の前身では独占状態だった為。車種の豊富な4ストを1000ccまで等と、制限を付けて使うという事で始まりました。やはりアメリカは小さくて速いRD400やH2(マッハ)2ストのけたたましい音よりも。大排気量ならば大きくて迫力の有るZ1や、CB750FOURの見た目。そしてワイルドなエンジンの咆哮が好きなのです。
RZの出るころにはアメリカでは、スズキGS1000やカワサキZ1000MK2。そしてホンダCB750F等が活躍していた。
デザインはヤマハと繋がりの深いGKデザイン社
デザインはオートバイ以外にも、ヤマハの楽器や家具も手掛け。他社ではキッコーマンの醤油瓶や大阪万博のデザインも手掛けたGKデザイン社で。当時市販されていた、レーサーTZ250/350を彷彿とさせる、火炎ホイール。当時は2ストでも4ストのような、ストレートな筒状のメッキマフラーが多かったが。あえて2ストを強調する中間部の膨らんだ、多段チャンバータイプの黒く塗られた、テールアップのマフラーと統一するような黒のエンジンと大型のラジエター。対照的にパールホワイト(ブラックのカラーリングも有った)に塗装されたエグリの入ったタンク。カタログにはニューデザインがヨーロピアンスタイルを更に印象付けると書いてあります。また初期のパールホワイトは日の丸カラーとも呼ばれました
メインターゲットはヨーロッパでの350ccだった
メインターゲットのヨーロッパではRD350LC(LCはリキッドクールの意味)として、日本より先に350ccがRDの名を引き継ぎ80年に販売開始されました。日本では社内で水冷を意味する「Z」。そして最後の2ストロークという思いを掛けて、RZという名前でRZ250は79年の、第23回東京モーターショーで発表されました。その後販売店で予約が殺到し、約1年後の発売と共にバックオーダーを抱える事になり。翌年81年には250ccクラストップの約1万8000台の販売台数を記録しました。
RZの開発時には、78年にスズキが250cc専用設計のRG250を販売しており。ヤマハは250と350の共用モデルでも負けない事を目標に、また2スト特有の振動を低減させる為に前側はラバーブッシュ、後方はベアリングを入れるオーソゴナルマウント方式を採用しました。
リアサスはスポーツ制を高める為に、ロードバイクでは初となる1本のモノサスを採用しました。モノサスはフレームの真ん中を突っ切る為に、エアクリーナーやバッテリーの行き場がなくなり。また水冷の為リザーバータンクや、消費していく2ストのオイルタンクを設置せねばならず。結果としてエアクリーナーがメインフレームの上、タンクの下に設置されました。
バンク角を稼ぐために内側に追い込まれたチャンバー。ロードスポーツバイクとして初採用のモノサス。当時二輪では少なかったCDI点火。これだけ最新の技術を投入してるなら、400ccよりは安く250ccよりは高い。例えばカワサキZ400FXの38万5000円より安く、Z250FTの31万8000円よりも高い。妥当な価格とも感じる、35万4000円で販売されました。
250ccはピーキーなエンジンに・・
やはりRZを語る上で欠かせない一番の特徴はエンジンであろう。RZ250は当時250ccトップの8500rpmで発生する35馬力と、8000rpmで発生する3kg・mのトルクを叩き出しました。低回転を使えばのんびりと走る事は出来るが、それでも燃費の悪い2ストロークで有るし、更にオイルも消費する
ランニングコストの悪い2ストエンジン。その醍醐味とも言える、高回転域を封印してしまうのは、ナンセンスであろう。低回転では「眠っているエンジン」が6000rpm以上に入った時の一気に立ち上がる強烈なトルクは、乾燥重量139kgの軽い車体と相まって明らかにクラスオーバーの加速を見せる。
そしてレッドゾーン手前まで一気に吹け上がる。そしてパワーバンドは突然終わる。
まだ後のYPVSのような複雑な排気デバイスの持たない、単純なピストンリードバルブ方式のみのピーキーな出力特性。この豹変的なエンジンこそが、まさにRZ250なので有ろう。
二代目?「走る棺桶」
テスト用の試作機は更にトルクバンドが狭くて扱い辛かった為(どんだけww)に、パワーを抑えて発売されたものの。やはり4ストに比べれば、特にコーナリング中に5000回転以下は思ったように駆動力を得られず。逆に6000回転以上のパワーバンドに回せば、急にパワーが立ち上がり狙った走行ラインを走るのが難しくなる。パワーウエイトレシオは3,97kg/ps(乾燥重量計算)で、当時の4スト400ccと肩を並べられる数値で「400キラー」とも呼ばれました。
更に翌年に発売されたRZ350はカタログにも書かれている(750ccをも凌ぐ数値)と言う訳で「ナナハンキラー」の異名を取りました。
RZ250のブレーキは車体の軽さも有ってシングルながら良く効くが、サスペンションは前後とも柔らかい為底突きしやすく。逆にコーナリングでは突っ張る感じが有り、エンジンパワーと車体の軽さと言う戦闘力の高さは有るものの。パワー(トルク)バンドの狭いピーキーなエンジン高いレベルを乗り手に要求するマシンに仕上がりました。バイクブーム絶頂期と見た目の格好良さで、RZ250のヤバさを知らない安易に手を出す層もいて。当時の事故率は高かったらしく、「曲がらない」「止まらない」「まっすぐ走らない」の違う意味での三ない運動を繰り広げた、カワサキのマッハⅢの異名。初代「走る棺桶」の、2代目を襲名するような側面も有ったと言います。
RZ350の方は250に比べパワー(トルク)バンドが広かった為、乗りやすかったとも言われていますが。結局この同じピーキーになるYPVSのような排気デバイスの無いピストンリードバルブ方式と、更に10馬力アップの45馬力と、250とほぼ変わらない軽い車体はやはりヤバイとしか思えません。
筆者もこの時代の2スト250ccを乗っていた事が有りますが。今の性能の高いタイヤ、サスペンションやブレーキは無いとは言え。圧倒的に軽量な2ストエンジンによる車体の軽さと、2段階や3段階モードチェンジが有るような、加速を魅せるエンジン。初めて乗る人にはパワー(トルク)バンドに入れば、急に来る加速には恐怖を感じると思います。ただその扱い辛さを制御するチャレンジは、中々上手くいかないからこそ決まった時はとても気持ちいい。一度ハマってしまえば中毒性は、計り知れない物が有ると思います。
HY戦争のライバル。ホンダVT250Fは・・
丁度HY戦争の真っ只中で、後の82年にはホンダが4ストで2ストに勝つと意気込んで作った、年間販売台数ではトップを記録しているVT250Fが、RZ250と同じ35馬力(2代目84年に40馬力)を出して発売します。水冷4ストローク4バルブDOHC、V型2気筒のエンジンは、後にXELVISやVツインマグナ。そしてVTRへと受け継がれる250ccのカブと形容される。バイク便で良く使われている「10万キロで慣らしが完了」と冗談で言われる程、耐久性の高い傑作と言って良いエンジンですが。それですらRZ250はトルクが高く、更にVTよりも低い回転で発生するのでパワー(トルク)バンドでは次世代の4ストの250ccですら太刀打ち出来なかったと言えます。
日本ではRZ250が先に発売されていたので、350はボアアップバージョンみたいな記事も有りますが。むしろ本筋は逆で有る方が近いと思います。元は350ccのヨーロッパがメインターゲットに開発したので、大きな違いはフロントのディスク枚数位な物でフレームや足回りはほぼ共通なので、先に350ccをベースに開発され。コストダウンも考えつつ250ccエンジンの、RZ250もと言う方が正しいのでは無いでしょうか。ただし後述しますが日本ではRZ250が売れた為、そういう印象が強いのかもしれません。
何故ヨーロッパは350ccなのかは、現在免許制度が馬力で区分されているので、350ccの45馬力が微妙なラインになっていたのでは無いか。近年の隼などのハイパワー車は保険料も馬鹿高いと、そんな感じでは無いかと思います。
RZ350は日本では車検が必要な中途半端な排気量というのも有って、250程は売れ行きが伸びなかったのも有り。250のフレームにエンジンを乗せ換えて、更に足回り等もその後に出る、ヤマハのレーサーレプリカTZRやFZR等に交換し。戦闘力を高め、250cc登録で走る。見た目は現在で言うネイキッドと呼ばれるようであっても、走りはその後のレプリカ達と遜色ないような。むしろ凌駕するような「羊の皮をかぶった狼」
そんな懐の深い遊び方も出来る所が、今も人気がある理由の一つでは無いでしょうか。乗りやすい優等生なホンダのVT250Fは当時売れた物の。現在はRZと比べ人気が無いのは、RZのデザインの良さも勿論有ると思いますが。ほぼ完成されてるVTに比べ、2ストのRZはまだまだチューン出来る余力が有った。その違いが大きいのでは無いでしょうか?
その後日本では、ヤマハRZが火を付けた80年代のレーサーレプリカブームで、2ストは特に各社による競争が過熱し。凄いことになって行きます。
自動車やバイク等「小さい排気量」の2ストエンジンは、今でこそ燃費は悪いし。オイルも消費せねばならない、白煙を大気にまき散らす環境に悪いイメージですが。大型船舶のようなとてつもなく大きなエンジンでは軽量でコンパクトでフリクションロスも出来。二輪に見られるような「ループ掃気」では無いバルブを上部に持つ「ユニフロー掃気」で2ストのメリットを最大限に活かしたエンジンが、逆に70年代以降から主力として活躍しています。
また二輪でもモトクロス等ごく少数ですがラインナップに有ります。改良されて排ガス規制という
デメリットを克服出来た2ストが復活したら、面白いなあと思うのは作者だけでしょうか?
RZのヒットでスズキが黙っている筈が無い
この後にRZに触発され、70年代2ストを得意としていたスズキが黙っている筈が有りません。公道でのカウル装着解禁と言うのも相まって、スズキは異世界召喚チートとも呼べるようなバイクを83年夏に市場に投下します。
90年代末まで続いたRZの血統。水冷2スト250ccパラレルツイン
人気を博したRZ250はカウルの解禁も有って、二代目のビキニカウルを付けたYPVSの排気デバイスを搭載したRZ250Rへ、83年2月バトンタッチされます。その後ヤマハの水冷2スト並列2気筒エンジンパラレルツインエンジンはTZR250やR1-Zへと受け継がれていきます。
82年カウルの解禁によりRZもオプションとして、アンダーカウルとビキニカウルが発売されます。
RZ350はRZ350RとRRとモデルチェンジをしますが、その後に350ccのパラレルツインエンジンが続いていないのは開発の本筋はヨーロッパメインの350ccだったものの。90年代後半まで250ccはR1-Zとして残った事を考えれば。RD400やTZ350から続く本筋が、250ccに移ったとも言え。ヤマハも2ストがそこまで残るとは、全く予想してなかっただろうし。ヤマハの最後の2ストを作るというのは、本当にそうだったんだと、作者は資料を集めてるうちにそう思いました。
コメント