スズキ GSX1100S刀とは

旧車の歴史

何といってもこの特徴的なデザインは、スズキは「イタリア車リクエストしたのですが、何故か「日本刀」になったのです。また逆輸入車というカテゴリー一般的になってきたのは、このカタナでは無いかと言われています。その後発売されたカワサキ・GPZ900Rなんかも沢山の逆輸入車が日本で登録された事で有名です。

GPZ900R

参考書籍

1982年モデル
スズキ GSX1100S KATANA

エンジン型式 空冷4ストロークDOHC直列4気筒 始動方式 セルフ
総排気量 (cm3) 1,074 点火方式 トランジスタ無接点式
内径×行程 (mm) 72×66 潤滑方式 圧送飛沫併用式
圧縮比 9.5 潤滑油容量 (L) 3
最高出力 (PS/rpm) 111/8,500 燃料タンク容量(L) 17
最大トルク (kg-m/rpm) 9.8/6,500 クラッチ形式 湿式多板
キャブレター型式 ミクニBS34SS 変速機形式 常時噛合式5段リターン
全長 (m) 2.26
全幅 (m) 0.715
全高 (m) 1.205
軸距 (m) 1.52
最低地上高 (m) 0.175
シート高 (m) 775
車両重量 (kg)  
乾燥重量 (kg) 232

発売された頃の時代背景

この頃は現在で言う400cc超の二輪免許、いわゆる「大型二輪免許」は、教習制度で取れる上限が二輪は400cc以下に限るという所まで、となっていました。現在の四輪の「ATに限る」や、眼鏡等、「中型車は8t以下に限る」のように、「二輪は400cc以下に限る」と書かれてしまう、いわゆる限定免許でしたので。それを解除するのには試験場での一発試験のみで、限定解除は難関だった時代でした。

また日本で販売される二輪車は、ホンダ・CB750FOURの登場から、750cc(ナナハン)までとメーカーによる自主規制(実際は官公庁による?)だった為。海外ではその後カワサキ・Z1(903cc)が販売されても、日本では750ccまでなのでZ2が国内向けに販売される。その後もスズキ・GS750をベースにしたGS1000や、空冷直列6気筒のホンダ・CBX(1000)カワサキ・Z1-R、と言ったバイク達も日本の工場で作られたとしても、日本向けには販売していなかった訳です。

ちなみにナナハンまでという規制は、88年にホンダが輸入モデルGL1500を公式に販売するまで。スズキで有れば90年の・VX800まで続きました。そんな中で産まれた国内向け750ccナナハン刀は、頑固な国内規制で憂き目に合い。750カタナは稀少なモデルとなりました。

VX800

西部警察で使用された刀

また、西部警察では舘ひろしさんが乗るのがGSX1000X(1100X)と呼ばれるGSX1100Sからボアダウンしたモデル、81年に発売開始された、1000台限定のGSX1000Sベース?(詳しくは1100かどちらか解りません)の刀でした。いつから登場したのかは詳しくは知りませんが(西部警察 PART-IIの82年からの用です)、当然国内向けの販売ではGSX750S刀が82年から発売されていましたが、ナナハンまでの規制でしたので。逆輸入と言う手を使ったのは間違いないと思います。ナンバーはハリボテの用で、公道を走れるように登録したのかは解りません。舘ひろしさん演じる鳩村刑事が乗るGSX1000Xは、黒くするようにリクエストしたそうで。黒く塗られた下には刀のステッカーがうっすらと下地に残っていたり、フェンダーは切り落とされてルーカスタイプのテールランプになっていたり、舘ひろしさんの拘りが見えます。

デザイン

刀の代名詞はなんといっても、この日本刀を意識したシルバーの外観AMAスーパーバイク選手権に適合させる為にボアダウンさせたモデルのGSX1000SZのカタログには、日本刀の鋭い刀身がモチーフで有ると紹介されています。

ウェス・クーリーとヨシムラ

デザインはハンス・ムート氏の興した会社、ターゲットデザイン社が制作したと言うのが定説です。以前はハンス・ムート個人が制作したような風に。カタログや広告には書いてあったので、それが一人走りして個人で制作したと言うイメージになってしまいました。本人もグループワークだったと否定しています。ハンス・ムート氏は過去に所属していたBMW時代で既に斬新なデザインをしており。76年のBMW・R1000RSのライト回りが既に、カタナのようなデザインになっています。

ハンス・ムート氏

当時は今でいうネイキッド(というジャンルは無かった)のような、日本の大型車で有ればホンダ・CB750F、カワサキ・Z750FX、ヤマハ・GX750、と言うような、カウルの無いデザインのバイクしか有りませんでした。海外で有ればカワサキ・Z1-RのようなビキニカウルのついたモデルBMW・R1000RSと言った大型カウルの付いたモデルも販売されていましたが。日本ではまだカウルの認可は取れなかった時代でした。勿論カタナのベースとなったスズキ・GSX1100Eも角目(四角い)のヘッドライトでは有りましたが、カウルの無い「ネイキッド」でした。

プロトタイプED2
BMW・R1000RS
手前から「ネイキッド」ホンダCB750FOUR・CB750Fはカタナの発売前。その後「レーサーレプリカ」のNSR250R

そんな時代に、異形のヘッドライトが普通になった現在からみても、負ける事の無い個性的なデザインの「カタナ」がどれだけ異質で、どれだけ衝撃を与えたか。理解する事は難しくないと思います。

現代の刀。スズキGSX-S1000S
角目のGS1100E
甲子園球場のような形。速度、回転、ランプが一体になったコンパクトなメーター
チョークレバーと2つのアクセサリースイッチ

アラフォー筆者の勝手な勘違い

カタナのフォルムは、まずガンダム好きの筆者にはZガンダムに出てくる、リックディアスのようだと思いましたが。Zガンダムは85年放送なので、もしかしたらリックディアスをデザインするのに、刀のイメージが有ったのかもと創造しましたw 

日本刀の話

話が少し逸れますが、日本刀、刀と言うのは、剣とはまた違います。刀は片刃で両刃なのが剣です。刀は叩いて切る動作をし、また世界で類を見ない反りが有る事で、余り力を加えずとも致命傷を与えられるような作りになっています。一方剣の方は、突くことや叩き切る事を目的としています。英語で言えばslice(スライス)とchop(チョップ)の違いでしょうか。

平和だった江戸時代の話ですが武士は、人を殺める為の物を常に持っていた訳です。何故かと言えば、治安自治の為で。例えば不埒ものが居て、町娘に乱暴をしたりしてる所に出くわしたら、それを成敗しなければならなかった。例えその相手がお奉行様のような偉い立場の人だとしても、見逃す訳には行かず。もし見逃してしまえば、後で家のおとり潰しといった家名に泥を塗るような責任になってしまいます。そして人を殺める訳ですから、その後は自分も責任を取って、腹を切らねばならなかったと。その為に二本差して脇差は切腹の為に持っていたなんて話が有ります。権限も有るが同様に責任も有ると。当然切腹するのも嫌ですし、武士で有る責任を負わねばならないのは大変なので。子供が元服すればさっさと跡を継がせて、自分は隠居したかった訳です。

人を殺めたら罰を与えるというような法律は江戸時代以前は在りませんでした。具体的な法整備をしなかった理由は、法に書いてなければ何をしても良いというようになってしまいます。また被害者であったり、やむを得ない場合もあります。人々が民度を上げて正直に生きる悪いことはしないという道徳を発展させた方が、よい社会ができると考えられていたから、作られなかったわけです。上記の武士の話もそういった道徳が成熟した結果では無いでしょうか。

折れず、曲がらず、良く切れると言う、長い年月をかけて日本独自に研鑽されてきた日本刀ですが。戦国時代の合戦ではあまり訓練をしていない農民兵。足軽が使うのは獲物が長い槍や、更に射程の長い弓で。また鉄砲などの方が実用的でした。それに比べ、刀の扱いは難しく。日々の鍛錬が必要でした。

鎖国前の朱印船貿易の時代ですが、東南アジアには各地に日本人の住む日本町が作られていきました南米や北米を見れば白人の多い国になっていますが、東南アジアは白人の国にはなっていません。何故ならば、日本の武士が強かったからです。戦前の教科書には実際にそう書かれています。

海外には日本のような何々流というような。例えば相撲のように古事記の時代から始まる、何百年、何千年も続くような武術は在りません何故ならば、王朝が変わるたびに歴史が塗り替えられ、政権に都合の悪いことは消されてしまうからです。日本でも好意的に表現される明治時代ですが、現在も続いていて。明治以降の現在も同じような事が行なわれているのでは無いかと思っています。大陸では焚書坑儒などが有名ですね。歴史は勝者によって作られる。まさにその通りだと思います

バイクの話としては大分逸れましたが、刀というのはそれだけ武士の魂であり。神聖なもので有ると思います。筆者もそうですが、現在の日本人ですら全ては理解出来ない部分もありますし。遠いドイツの地でカタナというバイクのデザインにしてしまうのも、ターゲットデザイン社のデザイナー達の思う刀、武士のイメージ像なのかもしれません

開発秘話

刀を象徴する特徴的なデザイン。ドイツ人のハンスムート氏西ドイツのターゲットデザイン社にスズキは。「イタリアンバイクのイメージで」と依頼したのですが。出来上がったのがヨーロッパの人(ターゲットデザイン社のデザイナー)がイメージする日本の刀だったと言う、真逆の結果になりました。開発当時のスズキは、イタリアを代表する工業デザイナーで有名な、ジョルジェット・ジウジアーロ氏と組んでいて。ロータリーエンジンのRE-5や、軽自動車のフロンテ等のデザインはジウジアーロ氏の作品でした。

ロータリーエンジンのスズキ・RE5

しかしスズキはヨーロッパ市場の開拓を目論んでいて、ヨーロッパ営業課長の谷氏が渡欧した時に、西ドイツでのデザインコンペに出品されたMVアグスタ。通称レッド・ラプターに衝撃を受けました。そのデザインを担当したのが、カタナをデザインする事になるターゲットデザイン社でありました。その後ターゲットデザイン社とスズキがタッグを組み、まずは開発スタートを切っていたGS650Gとなる「ED1」のデザインを作り。その後カタナのプロトタイプに繋がる「ED2」のデザインが出来上がりました。

通称レッド・ラプター
GS650G

アンケートは好き嫌いの別れる極端な結果に

そして80年、スズキ本社にカタナのプロトタイプのモックアップを持ち込んだ所。当時の鈴木修社長や、二輪設計部次長の横内氏はこんな「仮面ライダー」でいいのかという評価でした。しかしデザインにインパクトが有る事は理解していました。

そしてケルンショーに出展した所、マスコミにはケルンの衝撃とはやし立てられ、スズキのブースには常に人だかりで大盛況でした。しかしアンケートを取った所、☆5つか1に分かれると言う極端な結果になりました。

カタナのデザインは日本人には中々出来ないのでは無いかと思います。日本人には多少なりとも日本人が剣道の美学と言うか、侍の魂みたいな物は少しは残っているというか、理解できる所があると思います。西洋には西洋の歴史や文化が有るので、日本人が思う西洋と、西洋人の物とはやはり違うと思います。だからこそ思い切ったデザインを作って、刀と命名出来たのではないでしょうか。ただ筆者の考えとしてはやはりデザインが強烈すぎて、理解出来ない部分も有り。ここは上述の評価の通り好き嫌いの分かれるバイクだと思います。

そんな結果を受けてショーモデルだと思われていたカタナですが、スクリーンを追加したり細かい変更のみで発売されました。

タンクキャップは中心から右寄りに

カタナは世界最速マシンだった

GSX1100S刀のベースとなったGSX1100Eの発売された79年辺りは、ホンダのCB750F(CB900F)やヤマハ・XS1100等が発売されて。CB-FのようなDOHC16バルブ車等の最新技術が市販車にも盛り込まれ、高性能化が進んでいた時代でした。勿論スズキGSX1100Eもスズキ独自の燃焼室に過流を作るTSCCで、市販車初となる100馬力オーバーの世界最速マシンでした。

TSCC:Twin swirl Combasjon chamber

メイン(センター)スタンドの踏む場所にスリットが入っていたり。リヤサスには調整用のハンドグリップが付いてたり、細かい所までコストをかけて、KATANAというバイクの本気度を表現しています。

足ふみの所にスリットが
タンデムステップみたいなのがハンドグリップ

この頃スズキはTSCCを採用していたシリンダーヘッドは、鋳造したままではなく機械加工の工程が入っていました。シリンダーは、型に溶かした金属を流し込んで成型する鋳造が一般的ですが。横に長い4気筒のシリンダーは外から冷えて行きます。そうすると中の2、3番シリンダーと外の1、4番で微妙に形が変わってしまいます。なので冷えた後に機械加工の工程を入れる事で、綺麗に揃える事が出来る。今では一般的な事でも当時としては珍しく、カタナは先進的な事をしていました

機械加工のイメージ

しかしクランクシャフトはカワサキ・Z1などと同じ、組み立て式ボールベアリング構造のクランクシャフトで。現行車が殆ど採用する一体型のクランクでは有りません一体型クランクのベアリング。メタル軸受け支持に比べ、転がり抵抗を受けボールベアリング支持では音が大きくなるので、パワーロスのデメリットが有ります。またこの頃はカワサキも組み立て式クランクのZ2系エンジンのZ750FXから、メタル軸受け式のザッパー系のエンジンZ750FX-Ⅱにモデルチェンジするなど。パワーを上げると組み立て式クランクの限界を感じるようになりカタナもテストではねじれたり、折れたりして。ヨシムラがGS1000スーパーバイクに施した様な、組み立て後に溶接を施す対策が取られました。よって分解すると修復が難しく、クランクに問題を抱えると修理費用や部品手配の問題が発生します。

Z1の組み立て式クランク

ヨシムラとカタナ

レーシングコンストラクター(オリジナルマシンを製造してレースに参加する)として有名なヨシムラですが、70年代後半からはスズキ車を中心にレース活動をしていました。76年発売のレーサーベースとしスポーツ走行にフォーカスしたGS750で、USスズキとタッグを組んだヨシムラは(エンジンチューンはヨシムラ、車体はスズキと言うような感じ)、77年9月のAMAスーパーバイク選手権、ラグナセカでGS750/944がデビューウインを飾りました。そして年末にはGS1000が発売され、この年からAMAではヨシムラの代名詞とも言える集合管が解禁になり。GS1000は(チューニング車)2バルブながら130馬力以上は出ていたと言われ、GS1000もまた78年のデイトナでデビューウインを飾りました

しかし80年にはホンダが本格的に参戦し、4バルブのCB750F(の改造車)が強さを見せていました。2バルブのGS1000では限界が見え始めていた。83年からAMAのルールが750ccに変更になる事が決定していて、82年の1シーズンしか参戦出来ないながらも、ヨシムラは4バルブのカタナを導入する事を決定しました

ヨシムラがチューンしたGSX1000Sのエンジンは、熱問題に有ったもののピストンや空冷エンジンの冷却を改善し、150馬力を超えていたと言われています。1年程の活動と短かったため。AMAでは表彰台には上がった物の、優勝を飾ることは出来ませんでした。もう少し時間が有れば、まだまだポテンシャルは秘めていたので良い結果を残せた筈です。

また同年82年の鈴鹿8耐では、エンジンはカタナベースな物の、フレームは前年からのGS1000Rを採用した、テスタロッサ1000Rで6位の成績を収めました。

テスタロッサ1000R

翌年83年、スズキはレース活動を縮小した為、ヨシムラはモリワキのアルミフレームを採用し。GSX1000Sヨシムラチューンのエンジンの合作車ヨシムラモリワキスズキGSXが産まれ、8耐ではポールポジションを獲得しましたが。決勝ではエンジントラブルに悩まされ12位の結果に。ヨシムラとモリワキの話は、また別の機会にしたいですが、中々面白い内容です。

ヨシムラモリワキGSX1000

84年から鈴鹿8耐もAMA同様750cc化のルールになり、ヨシムラとカタナは一線を退きましたが。ヨシムラはレースで培った技術をストリート向けに応用し、製品を出す事でスズキとの関係が継続されました。そんな中、94年からNK-1と言うスチールパイプフレームと750cc以上の市販量産車のカテゴリが出来て、カワサキ・GPZ900Rやヤマハ・XJR1200、ホンダ・CB1000SFの中に混じって、スズキの車両が刀しか無いという事でヨシムラはカタナで参戦する事に。ヨシムラとカタナでのレース活動は10年以上ブランクが有るものの、AMAや鈴鹿8耐のノウハウを生かして。刀のスタイルを崩さない事。市販パーツを使う事とルールを決めて、本気で取り組みました。それが後のヨシムラカタナ1135Rに繋がります。

伝説の世界に5台、ヨシムラカタナ1135R

81年にヨーロッパで発売されてから、カタナは750ccの国内向け兄弟車や、レースのレギュレーションに合わせたボアダウンの1000cc等が発売され。限定車を出したり、また94年の国内ナナハン規制が解かれてから、国内正規販売の1100刀も発売されたり。2000年のファイナルエデションまで続くロングセラーモデルとなりました。その1100台限定のファイナルエデションを迎えるにあたってヨシムラ社内には、カタナに対する強いイメージが有り、ファンも多かったそうです。最後のカタナで何かしなければと言う思いで、世界に5台しか存在しないカタナが企画されました。

ヨシムラカタナ1135R

見出しに伝説と書きましたが、何が伝説か?と言われれば。価格が358万円、250㎏近い車重が200㎏を切る、150馬力以上とか、そういう所では無く。申し込むのに作文を送って書類審査に通る必要が有りました。修理やメンテはヨシムラで請け負うが、専用部品はその5台だけにしか売らないそうで。レプリカを作らせない為でした。そんな所にヨシムラの本気度を感じれます。

カタナのイメージは崩さずにあちこち手が入っている

開発手順はレーサーそのもので、AMAにカタナで参戦していた時代には無かったTMR-MJNキャブフレームの見直し、補強等が施されています。サーキット走行を主軸においていますが。ガチガチのレーサーでは無く、公道で安全に走れる事が最優先に置かれました。乗り味はカタナでも隼のような安心感が有るとオーナーは語っています。

刀を名乗れなかった国内向け兄弟車・GSX750S

81年にヨーロッパで販売が始まったGSX1100S刀ですが、日本国内は750ccの自主規制が有ったので、国内向けに排気量を縮小したバージョンが販売されることになりました。この頃はホンダで有ればCB900FとCB750F、カワサキで有ればZ1とZ2。Z1000MK2とZ750FXのように海外向けのモデルをエンジン縮小させて国内で販売すると言う事が一般的に行われていました。

その流れで刀も750ccバージョンが作られました。82年2月にGSX750Sとして発売されましたが、当時はバイクブームの絶頂期。また3ない運動の始まりの年で、暴走族や若者の事故の社会問題も有り。国交省の規制はとても厳しかった時代でした。82年初頭の時点でカウルのついたバイクは日本では販売されておらず、82年6月発売のホンダVT250Fでビキニカウルのスクリーンをメーターバイザーという事にして認可を通したのが始まりでした。刀の国内バージョンGSX750Sも、VT発売後の11月モデルからスクリーンが取り付けられるようになりましたが発売当時はスクリーンが付けられていませんでした。

スクリーンの無い、アップハンドルの初期型750カタナ

また上記の規制の厳しさにより低いハンドルも暴走族を助長させるとして、アップハンドルが取り付けられました。そして刀というデカールの文字も危ないイメージ、という事で入っていませんが。付属品として配布されました。アップハンドルは耕運機と揶揄されて、ダサいという事で交換したくなるのが理解できると思います。1100を流用すればボルトオンでつきます。しかし警察はそれを違法改造とみなし、取り締まりをしていて、それを「刀狩」と呼ばれる有名な出来事になりました。その時代は飲酒運転のように今よりも警察が緩かった部分は有ると思います。しかし3ない運動が活発になったり、二輪車が社会問題視されていたので、目の敵にするような側面も有ったのかもしれませんね。

ナナハン刀はモデルチェンジ毎にちょっとずつハンドルが低くなっていきます。84年のGSX750S3、3型ではデザインをスズキ内製で一新し、ヘッドライトは開閉式のリトラクタブルになりました。意欲的では有った物のセールスの方は劇的不人気でした。翌年の85年にGSX750S4の4型になっても人気が出なかった為に、ナナハン刀は4型で終了しました。ナナハン刀はセールス面では苦労した為、特に2Cの関東地方限定カラーや、S3、4は稀少なバイクとなっています。国内向けの正規販売で有る大型カタナは、94年の750オーバー解禁まで待つ事となりました。また派生モデルとして250ccや400ccのカタナのデザインを意識した車種も出ています。

リトラクタブルヘッドライト、新幹線のようなイメージ?

国内仕様のセンヒャクへ

90年にはスズキの70周年記念として、1000台限定で初期型のSZモデルを復刻したような、SMモデルが発売され好評を得て、その2年後に92年に国内仕様の1100刀が発売されましたが。規制の有った80年代は750ccまでが国内では限界で、刀も750ccを作りました。

ナナハン刀はリトラクタブルや先鋭的なデザインで面白い部分も有りましたが。1100の乾燥重量232㎏に対して、750は222㎏と10kg程の差しかなく。最大出力も111馬力に対して69馬力と、走りと言う点ではカタナを表現出来てるとは思えません。スズキのテスト担当の石原氏は「750は1100に比べて軽くて運転しやすいが、車重に有ったトルクではない。マフラーを集合管にしたら、尚更中低速のトルクがなくなり乗りにくくなってしまった。」それに比べて初めて1100の輸出車に乗った時は、「なんじゃこりゃ」とトルクフルなエンジンと豪奢な足回りに驚いたそうです。

750ccまでの規制が90年に無くなり、スズキは第一号としてVX800を国内にも投入します。この頃はネイキッドブームが始まった頃で、ホンダはCB1000SF、カワサキはゼファー1100と言った。レーサレプリカブームになる前のカウルが無かった、80年代前半のようなイメージを持ったバイク達が産まれて行きます。しかしカタナはその80年代前半のままのバイク、海外(逆輸入車)ではロングセラーとして続いていました。SFやゼファーのようなネイキッドモデルに対して、スズキは95年に新設計の大型ネイキッドのGSF1200を出しましたが。それらに比べカタナは80年のバイクなので、新しくデザインをする必要も無く、逆に変に手を入れればあっちもこっちもと言う風になって。カタナで無くなってしまうという事で国内の規制に合わせた物を作れば良いという結論になりました。

日本は2年ごとの車検が有るし、マスキー法に代表されるよう、排ガスや騒音の規制はトップレベルの厳しさでした。カタナは発売当時から既に、エンジンのフィーリングこそ高評価な物の。メカノイズの大きな音が気になると言う評価でした。低回転からトルクの出るバイクには音を抑える事が難しい。それで吸排気を絞る事になりました。排気側のマフラーは後ろからみれば輸出仕様とは絞っているのが一目両全です。吸気側はキャブ自体はメインジェットの違いだけですが、エアクリーナーの入り口を半分ほどに絞っています。それで音を抑える事は出来ましたが、日本のレギュラーガソリンだと低回転ではノッキングが出てしまうので、点火特性を遠心ガバナーからデジタル進角に変えました。

また当時ずば抜けて重いと言われていたクラッチを改良し、モーターでワイヤーを引っ張る力をアシストする。イメージとしてはウインチのようなワイヤーを巻き取る、電動アシストクラッチと言う新機構を導入しました。とても軽くはなるものの、操作感がいまいちだったり。故障で逆に重くなってしまったり。モーターが電力で動いてる為に、バッテリーが弱くなると動作がしない、壊れたり不調になるとセルモーターが回らなくなるまで電力を消費する事もあるという事で。部品調達の難しい現在は外してしまって、レリーズの交換等で対応する対策が取られるという、成功とは言えないチャレンジも有りました。

そしてついに国内の規制に合わせた1100ccの刀が発売されました。吸排気を落として騒音規制をクリアしたので、輸出仕様の111馬力から95馬力まで落ちましたが。並行輸入ではない刀を日本でも遂に手に入れる事が出来るようになりました。この頃は他の750cc超のバイクも同じように逆輸入車と国内仕様では馬力に大きな差が付くのが普通でした

その後組み立て式クランクを作る設備がなくなるという事で、2000年にファィナルエデションが発売されて、約20年のロングセラーであった刀の幕は一度閉じます。初期型の星形キャストからデザインが変わったり、限定モデルでは赤のカラーが有ったり、細かい仕様の変更が有りましたが。ターゲットデザイン社が作ったデザインは最後まで変えられる事無く、スズキ・刀と言うバイクを世に送り出して来た事が、息の長く続くモデルになったのではないでしょうか。そしてヨシムラの1135Rが産まれたり。デザインは19年に発売された、現在のGSX-S1000S刀に繋がっていきました。

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