ネイキッドのバイクとはそもそもなんぞや

旧車の歴史

CB750FOURやZ2がネイキッドと呼ばれていなかった理由

ネイキッドとは、80年代初頭以前はそういうジャンルが無かった。ホンダCB750FOURやカワサキZ1はメーカーの一番のスポーツ車だった。

カワサキZ2

82年に公道で走れるようにカウルが認可されると、メーカーがレーサーを真似て作ったバイク達が販売されるようになり。レーサーレプリカというジャンルが出来た。

ヤマハFZR

レーサーレプリカの開発競争は過熱し、薄いシートや攻めるのに特化した前傾のポジション。ピークパワーを求めた扱い辛いエンジン等、公道を普通に走るには過激なスペックになりすぎた。

その後90年頃に80年代初頭以前の、まだレーサーレプリカのように特化していない。ひと昔前のメーカーの一番だったバイク達のポジションや、エンジン等を改良し。カウルのついていないバイクが出てきて。レーサーレプリカと区別されるようになり、それがネイキッドというジャンルになった。

しかし、カウルの無いバイクをネイキッドと呼んでしまえば、ヤマハのBOLTやホンダのREBEL等のアメリカンや。ヤマハのセローのようなオフロード、WR250Xのようなモタード、MT-10のようなストリートファイター等も、全てネイキッドになってしまいます。

最近のバイクにはジャンルが沢山有ります。スーパースポーツ、オフロード、モタード、クラシック、クルーザー、ツアラー、アドベンチャー、スクーター。その中で現在も教習車(CB400SFやNC750)で使われるような、全ての中間にあるような位置にあるのが今で言う、ネイキッドのイメージだと思います。

NC750

ネイキッドと区別される原型は何だったのか。イメージはどうやって構築されたのか。時代を追って行きましょう。

カウルが日本で認可されるようになった82年以前

69年発売のホンダドリームCB750FOURは、ネイキッドと言う言葉がどうやって定着したのかを知らない人からすれば、80年代のレーサーレプリカブームを知らない人、(30代以下)からすれば。まんまイメージするネイキッドと言えますが。現在70代付近の現役で乗ってたような人。その時代しか知らない人にすれば、ネイキッドと言われてもよく解らない、そして当時ナンバーワンだったスポーツバイクです。

80年代初頭まで市販車はカウルが無いのが普通と言うか、82年まではそもそも日本では認可されていませんでした。
国内では750ccまでと言う自主規制も有りますが、78年に発売されたカワサキZ1-Rや、81年のホンダCB1100Rに代表される、カウルの付いている国産車(日本国内生産車)でも、逆輸入というのもまだ一般的ではないのもあって、当時日本では型式認定を取る事が出来ませんでした。

カワサキZ1-R
ホンダCB1100R


認可されていない改造には厳しく、刀狩に代表されるように、違法なのを覚悟して乗るしか有りませんでした。82年ホンダVT250Fのように。メーターバイザーという事にしてカウルの認可をとったりし、やっとカウルが認可されるようになり。同年ハーフカウルバージョンのCBX400Fインテグラや、初のフルカウル車ヤマハXJ750Dが発売されました。

その頃市場では、ヤマハが市販レーサーのTZを意識したRZ250が販売され爆発的なヒットをしていた。RZはまだカウルが認可されていない時代のバイクなので、後に純正オプションとして販売されるも、もちろんカウルは付いていませんでした

ヤマハRZ250

カウルが認可されてレーサーレプリカのジャンルが出来た理由

カウルが認可されるようになって、そこでスズキが満を持したように、83年にハーフカウルのRG250γを市場に投下します。アルミフレームにフロント16インチのタイヤ、乾燥重量131㎏。2ストローク水冷並列2気筒で45馬力というスペックを叩き出し。当時の同じ250ccで45馬力(40馬力の間違いでした)の2ストローク三気筒のホンダMVX250Fや、ヤマハRZ250の後継機、RZ250R(こっちは43馬力)とは一線を画すバイクを販売した。

スズキRG250-γ


82年の世界GP500チャンピオン、スズキのワークスレーサーRG-Γに乗るフランコ・ウンチーニが、「250ccのRG-Γだ」とコメントするような。レーサーのイメージを、そのまま市販に持って行きました。翌年の84年Γはフルカウル仕様も選択可能になり、続くようにホンダは84年NS250R。ヤマハは84年ハーフカウルバージョン(アンダーカウルは別売り)のRZ250RRを。84年にはTZR250。カワサキはKR250と、他社も競って市場に参入しレーサーレプリカと言うジャンルが産まれて行きました。

フランコ・ウン○ーニ。うほっ。いい男。

750ccに乗るには、今でいう大型二輪免許は難関の限定解除が必要だった為。二輪業界は今で言う普通二輪免許の400cc以下が主戦場でした。そんな中、車検の無い250ccが注目されると共に、ニーハンと言う言葉も産まれた。ヤマハのRZ250発売以前は下火になっていた2ストの火が一気に燃え上がり2ストニーハン、レーサーレプリカブームが出来上がっていきました。また2ストのみならず、80年代初頭の400cc4ストローク4気筒。Z400FXとCBX400Fに代表される国内4社の戦いは、そのまま舞台をレーサーレプリカに移して、80年代後半はCBR400RRのような、400cc4ストローク4気筒にRまたはRR444R(R)というようなジャンルも出来上がってきました。

γの発売される前。カウルの認可される前の80年代初頭以前は、CB750FOURもZ2もヨンフォアもFXやRZ250も、全てネイキッドとは呼ばれてなかった。それらは各メーカーが性能の高さを競って、全面的に打ち出し販売された。今で言えばナンバーワンの、スーパースポーツで有りました。スーパースポーツですので、メーカーが考える一番のバイク。性能を突き詰めた正統進化は、次の世代へはレーサーレプリカへと受け継がれる訳です。

レプリカブームになった弊害

その後、80年代中頃から後半はレーサーレプリカブームとなりました。そしてスペック競争は加熱し、日進月歩で進化していく高性能なバイク達。
特に有名なのが88年の2代目NSR250R。通称「ハチハチ」のようにサーキットに振りすぎた、高剛性フレームとまだ過渡期のラジアルタイヤ。当初はやりすぎて旋回しづらいと声が上がったり。カセット式で6速のギヤ比が1.045という加速重視に振ったミッション。配線をちょっといじるだけで、RCバルブのリミッター解除によって、45馬力から60馬力(70馬力とも)へとなってしまうと言われています。(吸排気をいじれば更に・・)まさに軽量モンスター、乗り手を選ぶマシンが普通に売られるようになりました。

NSR250R SP
NSRのフレーム

一般的にレーサーレプリカは、現在のSS(スーパースポーツ)と同じよう、前傾のポジションやバンク角を稼ぐために高くなったステップを装備し。更に数分でお尻が痛くなるような、タンデムや長距離を走るには心もとない薄いシート。ひたすらパワーを追い求めた高回転高出力のピーキーなエンジンです。更に2ストロークは4ストの2倍爆発するエンジンですから、振動を抑えるのが難しい。78年RD400のテストではPA(高速のパーキングエリア)では手が振動で痺れて箸を持てないから、蕎麦が食べれないなんて開発秘話もありました。

ヤマハRD400

ネイキッドと言う言葉が出てき始めた80年代中盤

そういった快適性とは遠い尖りすぎてしまったバイクじゃなくて。ひと昔前のバイクに有ったような、程々のポジションやエンジン性能。タンデムや街乗りのしやすい厚めのシート、もう少し気軽に乗れるロードスポーツバイクが乗りたいと思う層が一定数いた訳です。そんな中、声があったのが83年末に約2年で次世代のCBR400Fにバトンタッチされ。一度は生産終了したものの、84年10月に再生産されたCBX400Fです。2型は8000台程の生産と、それ程売れた訳では有りませんが異例の事態となりました。

ホンダCBX400F 2型

そんな時代にひと昔前のロードスポーツバイクから大きく変わってしまい。後にレーサーレプリカと区別されるようになった、ロードスポーツバイクは。今ではスーパースポーツのように攻めてもいない。またアメリカンのように直線を主に走るようなゆったりしたポジションでも無い。レプリカブームの80年代にしては、中途半端なライディングポジションのひと昔前のロードスポーツバイクだが元はメーカーがナンバーワンとして作っていたバイク達のライディングポジションが、程々で逆に万能的で丁度良いと。尖りすぎて気軽に扱いづらくなったエンジンパワーは必要(無い)、攻めすぎてライダーに負担をかけるポジションまでは必要(無い)。(無い)というコンセプトのある意味ここで現在のネイキッドの原型というかスタイルや、性能の方向性は出来上がっていたと言えます。

その要望に少しでも合わせる形なのか、その後ホンダはCBR400Fとエンデュランス。ヤマハRZ250RとRR。FZ400RとNのような、カウル有り無しの車種を同時期に販売しました。しかし、ただカウルを剥いだだけのモデルでは、メーカーが一番を目指して作ったフルカウル車に比べ売れませんでした。カウル装着を想定し作ったモデルなのに、ただ剥いだだけじゃ劣化モデルのように見える。どうせなら一番を買いたいと思うのが当然だと思います。ただこのカウルを剥いだだけのモデルによって80年代に、区別するようにネイキッドと言う言葉が産まれて徐々に認識されるようになっていきました。また元はフルカウルだったものの、コケてカウルを割ってしまい直すお金も無い若者は、あえてカウルを外してそのまま乗るという事も有りました。

カウル無のVFR400Z
ホンダVFR400R

この時代のカウルレスにしたレーサーレプリカは、ある意味性能の高い公道仕様とも言え。またアップハンに変えたりして、ジムカーナにも使用されたり
それを見て海外で触発されたと言うのが、今でいうストリートファイターの始まりでは無いかと言われています。

80年代はマスメディアの開花した時代で、雑誌が数多く出版されました。マク○ナル○の写真と実物との違いのように、カタログ燃費と実燃費が違うのはよくあります。現行のトヨタ86のようにカタログスペック上では200馬力となっていても実際は180馬力以下160馬力に近いなんて事も有ります。


コメダ珈琲のメニュー写真のように、後に色々な意味でユーザーに評価された88のNSRのように。逆にぶっちぎってしまった事例もあります。速さこそ正義の時代。メーカーのカタログスペックではどうだ。では、雑誌によるインプレで谷田部での最高速はいくつ、つくばでのタイムはいくつと、広告業界が後押しするように熱くなる各メーカーによる競争。バイク雑誌のインプレが売り上げにも影響されたと言われ、メーカーがメディア向けに貸し出す広報用の車両をこっそりチューニングしてくる、「広報チューン」なんて事も有ったと言われています。

ユーザー同志もサーキットや峠道、そして最後は口頭でのバトルをし。そんなある意味、日々戦いに明け暮れるレーサーレプリカの時代では有りました。

ゼファーが登場し、売れた理由

しかしそんな時代でも、カワサキは一歩引いた所にいました。そしてその影響なのか販売面で苦労していました。80年代中後半は前述の444R(R)の戦いには、ホンダはV型4気筒のVFR400Rと直列4気筒のCBR400RR。ヤマハはFZ400RやFZR400。スズキはGSX-Rとレーシーさを前面に打ち出したラインナップを出していたものの、カワサキは対抗馬に有ったのは鈴鹿8耐にZXR-7で復帰した87年以降88年のZX-4からで有り低いシート高やアップライトなポジションの今でいうツアラー色の強い85年発売のGPZ400Rで、レーサーレプリカを主戦場とはせず。ちょっと道がずれた所をつき進んでいました。

だからこそ目の付け所が違うというか、デザインを担当した植本匠さんが。「かなり趣味で楽しんで作った」と言うような、レーサーレプリカとは全く違うバイクを作り出します。

90年代ネイキッドブームの立役者、カワサキゼファーが89年4月に登場します。

初期型ゼファー。凹凸の無いタンクエンブレムや砲弾型で無いメーター

ゼファーは(無い)物尽くしでした。水冷でも(無い)のでパワーは(無い)、最新技術を誇るようなデバイスも(無い)。デザインも昔のカワサキの丸Zでも角Zでも(無い)。懐かしくも有るが何とも言え(無い)デザイン。刺激的で特別な物は何も(無い)。だが価格は「高く(無い)」。


当時の250ccレプリカは60万円を超えていく時代でしたが。ゼファーは400ccで52万9000円で発売されました。

そんなゼファーが出た89年でしたが、同年にカワサキは400cc4気筒のレーサーレプリカ。ZX-4の後継機ZXR400を投入します。

各メーカーは250ccは2ストのみならず、250cc4スト4気筒の変態、超高回転エンジン達のラインナップ。そして750ccクラスも入り乱れ、その辺は長くなりすぎてしまうので。今回は割愛させていただきます。さーせんwそんな狂乱麗舞の時代でしたが、4社ともレーサーレプリカが揃った事でブームは絶頂期を迎えます。

しかし89年、400cc超の販売台数はレプリカのVFR400Rがトップの約11000台では有るものの。なんとゼファーが2位の約7300台という成績を残しました。3位は後にCB400SFが後継機となる前の型。CB-1の約7000台です。ちなみに250cc以下はCBR250Rの約16500台、NSR250Rは2位の約16000台となります。日経平均の最高値を出したバブルが弾ける前の89年。数字上はレプリカブームの絶頂期と言えども、潮目は既に来ていたと考えられますね。

ホンダCB-1

ネイキッドブームになり現在へ

そしてその後はカワサキはゼファー400、750、1100。ホンダはCB400SF、1000、1300。ヤマハはXJR400、1200、1300。スズキはGSX400と、80年代を踏襲しつつも改良されたモデルが生み出されていった訳です。ここでネイキッドと言うジャンルが確立された訳です

ただネイキッドと言う言葉は、カフェレーサーに代表されるような、こっからここまでがこのジャンルと言うような明確な区分は無い曖昧な言葉です。ある意味カフェレーサーもネイキッドのジャンルの一部と言えます。例えば74年のCB400FOURは、前モデルのCB350FOURから低いハンドルとシートにスリムな燃料タンクにし。カフェレーサー風のスタイルを取り入れたと言われていますが。76年にCB400FOUR-IとCB400FOUR-IIが併売されてハンドル形状を選べましたが、Iのフラットハンドルに比べてアップハンドルのIIがカフェレーサーじゃないかと言えば、一概には言えないと思います。ただこんな感じがカフェレーサー、みたいなのは有ると思いますが元々は言葉のまんまで。カフェに集まって改造車で公道レースをしていたのが、カフェレーサーの始まりだと言われています。

そんな当時の改造車のスタイルを取り入れているのが、今のカフェレーサーのイメージではないかと思います。ネイキッドもそんな感じで、線引きが難しい所では有ると思います。

まとめ

ネイキッドはいつから有ったのかと言えば、最初はそもそもカウルが無かった訳です。最初からネイキッドだったとも言える訳です。元はスーパースポーツの、ナンバーワンのバイクで有ったが。カウルの付いたモデルが出るようになってから、公道を走れるようになってから、レーサーレプリカと言うジャンルが出来て。ライディングポジションやエンジン特性が特化されたので、段々と区別されるように認識されて行ったと言う訳です。

また年齢層やその時代にどれだけバイクと向き合って来たかで、細かい違いは有ると思います。10代20代の若者にしてみれば、異形のヘッドライト、いわゆる世界標準でのネイキッドは。日本車(メーカーやメイドインジャパン)で有れば日本のネイキッドでも有ると。

90、00年代の80年代を踏襲したネイキッドのイメージ、海外で言うJapanes”roadster”が、強く残っている人からすればそれらは欧米から来たネイキッドで有り。異形のヘッドライトはストファイと言いたくなる。

60、70代のCB750FOURを乗ってた人から見れば、そもそもネイキッドなんて無かったぞと。

また外国から見ればアメリカはハーレーと言う文化が有るし、ヨーロッパにはハーフカウルでもネイキッドという認識でも有ると。結局は考え方や意識、文化の違いによって、人それぞれなんだと思います。

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